拝啓 西畑

本人は見ないだろうから、まあ、いいか

好きな人には「ご自愛」してほしい

今日、人生二度目のファンレターを書いた。

 

ライブが終わったら、ファンレターを書こうと決めていた。

ファンレターでGoogle検索かけたりブログを読んだりしていると大体の人が舞台や松竹座の公演時に出していて、2つの公演の合間にスタバで書いたなんて話もよく見かける。

私はグループ結成前の彼を知らないし、今までもこれからもそういった機会はないと思うので羨ましい。

そういった人は頻繁に松竹座などに行っていたようでその分ファンレターもたくさん出していたみたいだけど、私は多分あまり書かない方なのだと思う。

 

前回はなにわのにわへ行った時に、施設内の黄色いポストに出した。

ファンレターが投函できるポストが用意されているなんて知らなかったけれど、直前にレポが回ってきたので面白がって書いてみた感じ。

面白がって、と言っても人生初のファンレターだったので、緊張で何度も失敗して最終的な枚数の数倍の便箋を無駄にしたと思う。

ドキュメントで下書きをしたら、PCの横長な画面に騙されて書きすぎたので大幅に削った。画面上じゃ1回のスクロールで読み切れるのに、実際書くと秒で1枚終わってしまうことにビビった。便箋の内容量、少なすぎる。

丁寧に書いたつもりだったけど後から読み直したら字がガタガタで、なんだかなぁと思ったけど読まれるかどうかも分からないのでそれでよしとした。

にわ内をスタッフのお姉さんが案内してくれた時にそうと思われるポストを通り過ぎそうになったので「お手紙って出せますか?」と切り出してみたのがちょっと恥ずかしい。

 

そして二回目のファンレター。先人達が公演の感想としてファンレターを出していたように、ライブに入ったからには書きたいと思っていたのを実現させた形だ。もう一週間、と思ったけれど、余韻が凄くて今もありありと思い出せる。

今回もドキュメントに下書きをした。前回の教訓を生かして、PC上ではちょっと短いのでは?くらいの長さにする。結果的にはギリ2枚で収まったので良かったと思う。

 

西畑さんへ と書く。他人行儀すぎるかと思ったけど、他人なので良いでしょう。

こんにちは、お元気ですか?と始める。子供の頃お年玉のお礼に親戚へ手紙を書かされた時、全く同じ文面を書いたことを思い出す。あっちは私を知らないのに、知り合いに向けた手紙みたいだろうか。まあいいや。

お忙しい中、このお手紙を開いてくださってありがとうございます。相手は確実に自分より忙しくて、たくさんの手紙に目を通す時間なんてほぼないと思うのでとりあえず感謝。というか、事務所に届けば上等。

そんな風に切り出して、11/3に参加したこと、ジャニーズエンターテインメントの余韻が半端ないこと、7人が輝きすぎていたことなどを超簡潔に書いた。私があなたのガン無視したド派手西畑Tシャツの主だということは伏せた。

 

西畑呼びでTheジャニオタな沸き方をするでもなく、「ダルい」と「腹立つ」が好きの表現なダルノリのくせに、敬慕と尊敬のオタクであることがモロバレな文面になってしまっている。届いてしまう可能性が1mmでもあるのなら敬意は表しておきたい。むしろこっちの気持ちが本心なので。

 

ファンレターのメイン。ライブの感想なんて気持ち悪くなるに決まってるし無限に書けてしまうので、今回はあえて私と”西畑さん”の出会いを書くことにした。こっちの方が気持ち悪いだろ。

詳しい沼落ちはいつかブログにも書きたいなと思っているのだけど、

・初見でも画面を通してアイドルへの思いと誠意が伝わってきたこと

・ファンでない私にも愛をくれたのが嬉しかったこと

・この人は本当に誇りを持ってファンを愛しているんだなと思ったこと

・何も知らない誰かのことをそんなに信じられたのが嬉しかったこと

とかを書いた。

「西畑さんがお仕事に誇りを持っているように、私もあなたのことが毎日誇らしいです。」と書いて回想シーン〆。あなた呼び怖いかな。でも日々彼のことが鼻高々であるのは間違いない。育てた身では欠片もないけど自慢しかできない自担です。

 

最後の段落は、ライブを経てもっと好きになったよってことを書いた。本当に、これ以上ないと思っていたのにもっと好きになってしまった。そのことにずっと驚いているのは私自身。

やばい、あと数行。ギリ2枚に収めたいので文字たちには間隔を詰めてもらう。読まれたら100バレる。

私の彼への思いのベースはずっと変わらず尊敬なので、作り上げるということに対して真摯で真っ直ぐなあなたをいつも尊敬しています、というようなことを書いた。伝えたいことを伝えられた感がある。

最後に、ずっと一筋にアイドル西畑が好きです、という意思表示。彼に言っているのか、自分でその言葉の重量を試しているのか、もう分からない。

もう最後の行に入ってしまっていたので、どうかご自愛ください。と書いて締めた。みんな〆の言葉ってどうしてるんだろう。

お堅すぎる気もしたけれど、私のこの崇拝に近い気持ちを表すのにはこれくらいが丁度いいのかもしれない。

 

 

封筒を作って、入れる。

f:id:pagu_1997:20221111185932j:image

(封筒のデザインは前回と同じ。多分ずっと変えない。深みのある赤が彼らしくて好き)

 

記録用に写真を撮って、切手を貼って、「飛び立て、俺の愛!」と思いながら投函。任務完了。

 

 

 

 

 

 

 

ファンレターって、本当に届いてるんだろうか。読んでいるとは正直あまり思っていない。

忙しいのはもちろんあるけれど、そもそも毎日何百通もくるんじゃないだろうか。本人に届く前に確認する人も必要なわけで、一通一通の確認なんて一日分も一日じゃ終わらないと思う。

事務所へ届くのも、確認するのも、更にアイドルへ渡すのも、そして本人が開くのにも時間がかかる。というか最後の段階は気分が関わってくるので、本人に読む気がなければそのファンレターは永遠に日の目を見ることはない。

彼の誠実さを理解していなくはない、多分。それでも彼が読んでくれるとはあまり思っていないというか、正直あの多忙さの中でそういった時間がとれるとは思えない。

結局自己満だと思う。返事が来た事例もファンレターの中身について触れているジャニーズがいることも知っているけれど、多分届くことを前提に、当てにしてする行為ではないと思った。

でもそれでいい。出さなきゃ可能性はゼロだけど、まあ、奇跡が起こって彼の目に触れるくらいはあるかもね。

一通のファンレターを読んだ世界線、読まなかった世界線、大きく変わることはなくても全く同じではないと思う。だったら、ちょっとでも想いが伝わったほうが私は嬉しい。

 

ライブでもそうだったな。ルールを守れない人になるのが純粋に嫌だったこともあるけれど、アピールのために大きなうちわを持ったりペンラを高く上げたり、そういうことをしようとは全く思わなかった。

多分、自分と彼が関わるということにそこまで興味がないのだと思う。関わるって言ったって当たり前にアイドルとファンとしての一瞬のことだけど。

私はずっと画面越しに彼を追い続けてきて、Theアイドルの輝きの恩恵を受けるさながら教徒のような気分でいる。神の顔は見られない。

認知とかファンサとかされたらそりゃあ嬉しいと思うけど。でも、私の方じゃなくて未来を見つめる彼を、私のことなんて全く知らずに勝手に輝いている彼をひっそりと崇拝する自分というのもなかなかに好きなんだな。そして、それをしないアイドルを極めた彼のことも好き。夢は夢のまま、偶像は偶像のまま。それを守ってくれるアイドル。

彼への敬意をたっぷりと詰め込んだ動画を作ったときのこだわりは、カメラ目線のカットをほぼ入れないことだった。

彼はいつも優しい瞳でこちらを見てくれるけど、私は彼が目線を外して語る姿が好きだ。なぜかその方が、心に近付けている感じがして。

 

彼がファンレターの話をすることは最近はないから送ったものがどうなったとかはわからないけれど、最後の一行だけが叶えばいいや。

私なんかが言わなくても、メンバー同士、マネージャーさん、家族、仕事仲間、色んな人が彼の”ご自愛”を願ってくれているだろうからそれでいい。

Love your neighbor as yourself.という言葉が好きだ。他人への愛と良い意味での自己愛の両立は不可能じゃない。自分への愛の次に他人への愛だと思う。

彼もどうか、ご自愛、してくれていますように。