拝啓 西畑

本人は見ないだろうから、まあ、いいか

「西畑」2023.1.9

今日は尊敬するアイドル:西畑(さん)の26歳のお誕生日です。

去年のお誕生日ブログと同じ書き出し。

2022年も一年間、ずっと尊敬できるアイドルでいてくれてありがとう。

26歳。一気に大人感がありますね。25とはちょっと違う、気がする。

あなたがどうであれ何であれ好きなので問題ないのだけど。

2022年の一年分の思いを、今年もここに残したいと思います。

 

 

 

形容などできない

私は上手に文章が書けないんだって、そう気付いたのは彼を好きになってからだった。

不覚にも西畑に惚れ込んでしまってから何度もその不思議な魅力を言葉にしたいと試みたけれど、うまく彼への気持ちを表現できたためしがない。何ヶ月と打っては消してを繰り返した、2022年のお誕生日のブログくらい。あそこには、私の思う「アイドル西畑」を、「作って」いる「西畑大吾」、への見解を出来得る限り詰め込んだ。

 

pagu-1997.hatenablog.com

 

「西畑担」と名乗れるようになってから今まで、入所時やグループ結成前からのファンの方と比べたらその時間は長くはない。けれど、そんなこと気にならないくらい色んなことを考えて、泣いて、もちろん笑わせてもらったりして、彼への羨望と敬意を積み上げてきた。

それを言葉というツールに限定してしまうには、その何倍もの時間が必要な気がした。簡単には語れないことが、言葉にしたくない想いが、たくさんある。

 

 

彼の奥底

彼のどこが好きなんだろうと考えても、正直よく分からない。

顔、体つき、歌声、ダンス、喋り方、声、言葉選び、表情、立ち回り、所作、性格、考え方、癖、笑い方、とか。そりゃあ、一応好きな人なのだから。全部好きに決まってる。でも、歌声が好きなんだよね、とか、このダンスが好きなんだよね、とか。そういうのではない気がした。

全く同じことを彼じゃない人が言っても、していても、全く同じ歌声で彼じゃない人が歌っても、全く同じダンスを彼じゃない人が踊っても、それは私にとってなんの意味もない。西畑が歌うことに価値がある。西畑が踊ることに意味がある。彼が喋ることに、彼がすることに。

西畑が持つ声だから、西畑が踊るダンスだから好きだ。あなたの一部に触れた時に感じる、これだという感触。この書き起こせない不思議で特別な感情をくれるのは、後にも先にも彼だけで。

あなたが「すること」、「やること」じゃなくて、「あなたが」すること、やることを、その様を見ていたいんだよ。いつでもあなた自身を見てる。 

 

 

虚構の塊

私は彼に対して、性別という概念をほとんど持たない。「恋人にしたいJr.」で三連覇を達成したことのある彼だけど、なんなら私にとって彼は「恋人にしたくない(Jr...ではもうないけど)」を維持し続けている存在だ。

決してアウトドアでない私でさえも「さすがに初詣は行くわ」となるインドア具合。

女の子はロングしか勝たない私 vs ショートカットしか勝たない西畑。

Theいちゃいちゃデートが理想な西畑に反して王道恋愛苦手女こと私。

ていうかジャニーズの年上好き率高すぎるし。

恋愛観が合う合わない以前に、割と誰でも好きになれてしまう私が唯一恋愛的に好きになれないであろう人。でもそれは、彼に男性的な魅力がないなんてことじゃなくて。

 

ずっと、恋愛的感情なんて思いつかないくらい、ただ存在に夢中になれるアイドルを探していた。大好きなラブライブのように、本当に透明な心でアイドル活動に全力をかける子を、同じように綺麗な心で追い続けられるような、光の塊みたいな偶像を。

彼女たちは同性で、年も近い。変な話創作物だから、どこまでも素直で一生懸命で美しい。だから私にとって、ラブライブは完璧だった。

 

ジャニーズ初心者の私は、彼らが異性というだけで、恋愛的感情を抱かずにはいられないのではないかと恐れていたのだった。

それでも彼は違った。「大丈夫な人」だった。それはひとえに彼の作り上げる虚構のおかげ。本当にありがたい。

私にとって彼は、二次元のような創作のような、魔法の存在。そんな存在が、完璧なアイドルが、この次元に、そして男の子でいるなんて。今でもちょっと信じられない。でもそれくらい、西畑大吾の作るアイドル西畑は本当に素敵で、とことん精巧だ。

 

彼は「分かっている」アイドル。

もちろん「かっこいい」とか「男らしい」とか、思う瞬間がないわけではないけれど、そんな性別的な、恋愛的な感情を超越するほどの「アイドル力」に溺れる。タイプでないのに、惹かれている。それは、私が彼のアイドル力にとことん心酔しているからだ。何度でも言いたい、こればかりは本当に彼のおかげです。

「アイドル」しか魅せない、その心意気。「リアコ感」も、「男らしい」も、「セクシー」も、「可愛い」も全部アイドルというフィルターを通してこちらへ届けてくれるから、いらない心配やソワソワがない。

彼が全力で作る美しい虚構。頭の先までどっぷりと浸かり、安心して彼のアイドルとしての生き方、在り方に酔を尽くす。これが最高に心地よくて、満たされる感じが嬉しくて、幸せ者にしてもらっているなあと思う。

 

 

羨望、嫉妬

私と彼は、とても似ていて、とてもかけ離れている。考え方、覚悟の決め方、語り方、向き合い方。照れた時、「あちゃ〜」って時、腹を括る時の、仕草、表情、反応、目の奥の動き。お芝居に縁や思いがあること。

ウインクの乱発に、あと、ぶりっ子の仕方も...なんて。

私の誕生日は1月8日で、彼の誕生日は1月9日。これは関係ないか。

とにかく私は、(あくまでも一方的に)出会うべくして出会ったのだと信じてやまない。今までジャニーズに全く縁のない人生を送ってきたのは、彼を初めての、そして唯一の自担にするためだって。

けれど、似ているから、近しい部分が多いからこそ、彼と私がそれでもかけ離れていることにより深く気付いてしまう気がしている。帰属意識と、グループへの想いと、メンバーへの愛と。なによりアイドルへの誇り。

昔の映像なんかを見ると彼の性格は今と少し違うように見えて、大人になったということ以上に、関ジュのセンターという立場は良くも悪くも彼をここまで変えたのだなと何も言えなくなってしまう。

言葉にできない、この人の奥深さと、意思と、崇高さ。なんだろう、正直羨ましくてたまらない。でもこれらは彼が持って生まれてきたものでもなんでもなく、全て自分で掴み取ってきたもの。

ひとつひとつ噛み砕いて、自分のものにして。すごい人だよ、本当に。

 

 

尊いほど真っ直ぐな誠意

彼の過不足ない顔が好きだ。

大きな瞳にぷっくりと愛らしい涙袋けれどその瞳の形は丸いというより横幅のある綺麗な台形で、日本人の顔によく合う。その大きく横長の瞳のおかげで目を細めてもその目力は失われずに、ただアンニュイな雰囲気のみを残しているのが美しい。

笑うと口角がきゅっと上がる口元とそこから覗く八重歯は小動物のそれを思わせる可愛らしさであるし、ツンと細くなる鼻先、絶妙に薄い唇の作り出す横顔は表現に無駄のない彫刻のようで、もはや神秘的でさえある。

そして、子犬を彷彿とさせるその顔に一見似合わないようでいて調和の取れた力強い眉。そんな眉と横幅のある瞳のせいで、男らしさも叶えてしまうのがずるい。

濃すぎず、薄すぎず。口当たりの良い爽やかな顔だ。そんな素材勝負の顔つきだからか、髪型、髪色、どんなものでも良く似合うというのはファンのよく目ではないと思う。どんな雰囲気も自分のものに、新しい自分にしてしまう強さがある。

 

初めて見た時も、彼のことを美しいと思った。

ジャニーズ。男の子のアイドル。少し興味はあったけれど、不安だった。

可愛くない子に応援されて嫌じゃないだろうか、とか。ファンのことを馬鹿にしてるんじゃないか、とか。めちゃくちゃに失礼だけど、それくらい戦慄していた。自分に自信がなかったから。

好きにならないことで、自分を恐怖から守っていた。「本当のジャニーズ」を知らない、偏見だらけのスタートだった。

 

そもそも、好きになんてなれるのかな。

ずっと女の子を応援してきた私は、自分なんてどうでもよかった。同性同士だから、私がどうだって優しくしてくれる。ライブだって、自分より彼女に輝いてほしいという気持ちだけでいい。

でも、私にとってジャニーズはそうはいかない、ということを、私は自分でよく分かっていた。正直、怖かった。

 

3年ほど前に友人に見せられた、たった数分の動画。少クラin大阪の「ダイヤモンドスマイル」。

周りの子はみんなジャニオタで、一人の「自担」が好きで。楽しそうだなぁ。だけど、やっぱり怖い。

そんな気持ちを、一瞬でどうでもいいものにしてくれてしまったのが彼だった。その時見たのはパフォーマンスだけなのに、彼の表現には溢れんばかりの誠意があった。身のこなし、表情、歌いきった時の顔。そして、「目が合った」時に、ちょっと眉を上げて笑顔で、ちゃんと「見つけて」くれること。彼の表現のすべてに、優しさと温もりと、画面の向こうにさえも届く愛が詰まっている。

ファンでない私にさえも、彼は愛をくれた。とても綺麗で、衝撃だった。かっこいいより、美しいという気持ちでいっぱいになった。こんな人いるんだ。こんなジャニーズいるんだ。この人なら、なにも怖くないかもしれない。

爽やかで高貴な衣装によく合うアイスブルーのステージ。その真ん中に、一人だけマントを纏うことを許された揺るぎないセンター。何に惹かれたのかはわからない、それでも、委ねても良いと思えた。彼にファンとして、色んな初めての気持ちを捧げても大丈夫だと思えた。

それだけで充分だった。

 

「ダイヤモンドスマイル」で彼に出会えたのは、かなり幸運だと思う。バラエティで見ていたら、センターでない曲で見ていたら。私はちゃんと彼に気付けていただろうか。惹かれていただろうか。

それはわからないけれど、やっぱり、私はあの王子様に出会えてよかった。王子様が私を「見つけて」くれた瞬間に、もう何かは始まっていたのだと、今なら思える。

 

 

彼という素材、彼という商品

ダークな曲での彼の魅せ方が非常に好きだという話をしたい。「Midnight Devil」は特に格別で、私はあの彼を心から尊敬している。

演技力とか憑依とかいう言葉はあまり使いたくないけれど、あれは何なのだろうか、と不思議に思わずにはいられない。表情が良い、動きが良い、そういう「アイドルとしての評価」を超えている。アイドル西畑さえも超えている。何者なんだろう?

 

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(秒数指定済)

 

これが研究の末に辿り着いた最高峰の表現だとして、どんな研究をしたらあんな姿になれるのだろう。「作る」ことが可能なのか、あんな表現が。

可愛らしい曲での姿、衣装を捌き使いこなす姿、彼のアイドルとしての能力の高さを感じられる瞬間はたくさんあると思うけど、やっぱり「Midnight Devil」が最も顕著であるように思えて仕方ない。突き動かされるまま、心は野生のまま、本当に獣のようで言葉にし難い興奮を覚える。未だに信じられないけれど、あれが彼の計算なのであれば、下手に映画やドラマを引き合いに出すよりも圧倒的な説得力を持って彼の表現の力を示してくれるのではないだろうか。

心を曲の世界に浸して、その波に乗って勢いに任せて暴走するような魅せ方。問答無用で、真ん中が似合う。あれが端にいたら違和感さえ覚えると思う。

「それっぽい表情で決めるアイドル」じゃない。狙ってる感も、かっこつけてる感も何もかも超えて、「それ」になっている。研究心と、センスと、読解力、練習を積み上げるその心の強さ。本当に素晴らしいと思った。

 

「MidnightDevil」はあまりにも顕著すぎるけれど、思えば彼は曲を演じるようなアイドルだ。それは元から「アイドル西畑」としてのオンオフがあるのと同様に、彼にとってはある意味自然なことなのだと思う。もちろん一つひとつの表現に彼の思考やこだわり、目指すところは充分に感じられるのだけど、曲中の彼自身の在り方においては、無意識に意識するというフェーズまで来ている気がする。

デビュー曲らしく、可愛らしさ柔らかさと芯のある余裕を同居させる王道な”アイドル西畑顔”を見せる「初心LOVE」に始まり、「TheAnswer」ではお得意の片目片眉を動かした不敵な笑みと噛みつくような表情、「サチアレ」では人畜無害感をベースに、目と口を同時に開けるような少し幼い部分も入れているように見える。

原点回帰の「ダイヤモンドスマイル」では”アイドル西畑顔”を全面に出しつつ更に男性感や余裕感を増して、頼りがいのある絶対的センターなる風格を表情からも漂わせているのに脱帽。

「ハッピーサプライズ」は所々の体の使い方に女の子のような可愛さは取り入れつつも、カップルのクリスマスをイメージしているのか男らしい表情を見せているのが味わい深い。「#MerryChristmas」でも、華やかさ溢れる画面に冬の切なさを一滴加えるような目線の動かし方、上へ膨らむ形ではなく真っ直ぐに近い下向きのクールなウインクをあえて選択する彼らしいこだわりが感じられる。

 

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こうして考えると、曲によって在り方を変える彼の表現は、あたかも調味料のようだ。表情ひとつ、眉の動かし方ひとつ、立ち方歩き方ひとつで、曲の風味がガラッと変わってしまうことを知っているからこそ、その曲を一番魅力的にする「アイドル西畑」を選び振る舞っているように見える。それは彼が彼自身という素材のポテンシャルをよく理解しているからこそ出来ること。

 

いつかのRIDE ON TIMEで、彼は「西畑大吾という商品を扱っている感覚はある」と言っていた。*1その後のROTでは「僕の人生は僕のもの」と言って少し心境の変化を感じさせた彼だけれど、「西畑大吾という商品」という意識が完全になくなったわけではないのだろうなとは思う。

最初彼の口から「商品」と聞いた時は、答え合わせといった感覚が強かった。アイドル西畑を知ってすぐに感じたことだったから。自分という素材、商品を、客観的にマーケティングできる人。なるべく多くの可能性を生み出すために、自己のアップデートを欠かさない人。とても賢く、妥協のない真面目な人なのだと思う。

それがグループの活動を通じて少しマイルドになった故の、「僕の人生は僕のもの」という自由度、開放度の増した発言なのかもしれないけれど、丸くなったのであれば恐らく気持ちの面だけだ。しっかり自分を見つめて仕事をしていくという姿勢は、変わらずにベースにある、それがアイドル西畑を形作っているのだろうと思っている。気持ちや抱えるプレッシャーはうまく分かち合いながら、自分に帰結することはしっかりと自分で考え、丁寧に向き合う。きっと、ずっと変わらない彼のやり方。彼にしかできないこと。私はそれに、どうしようもなく焦がれている。

 

 

どうかそのままで

これだけ器用にアイドル西畑を演じ上げるにも関わらず、彼は素朴な人だなぁとふとした瞬間に思う。

過不足ない顔、と言ったのもそうだけれど、純朴の中に美しさを秘めている、奥ゆかしい艶めきのある人。派手に光を反射する大粒のラメというよりも、オイルの中でゆっくりと動くちいさなちいさなたくさんのキラキラ。重厚感のある、うっとりと心を満たす煌めき。

そんな静かな美しさの中で一際輝く、説得力を持つ彼の瞳が好きだ。リングにはめ込まれたダイヤみたい。あの瞳は本物。彼の目を見るだけで、今までどんな道を歩んできたのか分かる、そんな図らずとも語ってしまう瞳。

きっとあの日、彼のことを何も知らないのに惹かれたのはあの瞳のせいだ。彼の瞳は常になにか訴えている。過去がチラチラと輝いて見える。そこから私は、匙を投げずに向き合った過去さえも愛おしみながら目の前のファンへ向き合う、誠意という大きな愛を感じてしまったのだと思う。

 

 

青いイナズマ

絶対的センターとして語られることも多いけれど、彼はどこにいても一番に輝く人だ。センターを邪魔してしまうという意味じゃなくて、その場で一番の輝きを見せてくれる。

立ち位置にはそれぞれストーリーがあると私は思っていて、そこにいる意味と尊さはどこだって変わらない。そういった意味で、その場所にいる必要性、理由をよく解釈して、その立ち位置の主人公、一番を全うしているように見えるのが彼だ。

彼がどれだけアイドルとして可愛らしく優しい表情をしていても、その瞳にはどうしたって覚悟がちらついていて。その静かに燃える青い炎が胸をさして、私は彼を目の前にして手も足も出なくなってしまう。だから、センターだとしてもそうじゃなくても、あなたから目を離せない。あなたの全ての瞬間を目に焼き付けたくて必死になる。あなたが一番、魂削って今を生きているように見えるよ。

 

 

他人だけど、他人じゃない

彼の顔を見る度に、決して他人とは思えない。だって私、全然タイプじゃないもの。だけどあの顔がすっごくかっこよくて、とてつもなく可愛くて、世界一に見えるんだなぁ。表面的な「かっこいい!」じゃない。言葉にできない、底から湧き出る不思議な気持ち。

ドキッとするような胸の弾みというよりも、ぎゅっとなる。愛おしすぎて涙が出そうで、顔を見れば、好きだ、が心をいっぱいにする。全部の瞬間が、懐かしいような、深く知っている人を見ているような。このよく分からない気持ちこそが、私を引き付けるものなのだと思う。

私と彼の間にある通底するものが、私の第六感的な部分に訴えかけるのだ。この人はただの他人じゃない。簡単に運命だなんて言うつもりはない、そんなのオタクの都合の良い妄想だってことは痛いほど分かってる。それでも、こんなにも深く人に惹かれるなんて考えられないよ。

 

 

守られていますように

彼はどうしたって芸能人になってしまう未来しかない、みたいなタイプじゃない。普通の男の子として生きる人生も、充分すぎるほどあったと思う。

だから尊いんだ。天性のアイドルじゃないからこそ、誰よりも想いを貫いてやってきた。「天性のアイドル西畑大吾」を自分の手で創った、彼の過去も、今も、悩んできたことも全部が愛しい。

彼は普通の男性なんだ、と感じる瞬間はたくさんある。好みとか、思考とか、なんだかんだ普通の人なんだと気付かされる瞬間。「気付かされる」というのはそれまでそれを忘れていたということで、また彼のアイドル力に痺れたりも、する。

彼の人生は彼だけのものだ。私達はそれをちょっと覗かせてもらっている。お裾分けしてもらっている。私達のために生きる瞬間というものもあるだろう。それは少し申し訳なくも思えるけれど、彼がこの仕事に誇りを持っている以上、そんな瞬間も彼が望む彼のものであるのだ。

そして、そんな瞬間の中にもなにか自分に還元できるものを見つけられる人。「オンとオフははっきりしている」という彼の「オフ」が、これからも守られますように。アイドルは、アイドルとしての振る舞いを常に期待されるからこそ、もっとアイドルでない時間を大切にされなければならないと思う。

でもそれは彼や、彼のプライベートな知人が作るものでなければならない。そこにファンは介入し得ない。してはならないと思っている。

 

 

思考の人

彼はよくふざけるし、セクハラオヤジだし、呆れることばかりだけど、彼の本質が纏う空気感はいつでもさっぱりとしてクリーンだ。

ファンに対して金銭面の姿勢を確立させているところはたくさんのファンが触れる点だけど、それはそんなアイドルそうそういないからだよ。手の届かない夢の中で甘い言葉ばっかり囁いて、”お金”なんて言葉を一つも使わずに「〜たらいいな」「〜なりたいな」なんて可愛い言葉でお金を搾取してくれちゃう偶像たち。あなたはその対極にいる。

2020年の11月29日、100回目の放送を迎えたJr.大賞シーズンのとれ関での彼の言葉が本当に好きだ。

「このJr.大賞に関してはですよ、...僕はね、あまり、声を大にして言えないんですよ。ていうのも、やっぱりね、タダじゃないんですよ、Myojoさんって。」

「やっぱり僕自身こう...『買って買って〜』とか。『応援して応援して〜』って言うのはなかなか、こう...言いづらいところが、あるんですよね。」

「みなさんのお力添えで、みなさんのお時間、みなさんの...労力、みなさんのお金をいただいて、僕はこうやって『恋人にしたい』二年連続一位。に、させていただいていると。させていただいている立場なのでね、僕は」

「何位だろうが僕は嬉しいですし、みなさんが届けてくださったその順位、そして全ての、労力であったり、時間であったり、お金っていうものを、僕はみなさんと大事にしていきたいと思っておりますので。ね。」

「若いうちはさ、それこそ『買って買って』って言ってましたよ。『投票して投票して』って。言ってました。でもこの年齢になってね、分かるんです。時間の大切さ、お金の大切さ。分かるんです。」

Jr.大賞なんて今はもう関係のないことなのに、ここに彼のすべての愛と誠意を見るようで何度も聴いている。

彼はこの話題を「何位になるのか共に楽しみましょう」と締めた。ファンにとっては誰がどんな順位になるのか、誰が「デビューへの登竜門」をくぐるのか、かなり緊張感のあるイベントだけど、それを「共に」「楽しみましょう」と言った彼。非常にアイドルだ。ポジティブな面を提示してくれる輝かしさがとてもアイドルらしい。

でも、ただのアイドルじゃない。アイドルらしさ以上の彼らしさがある。圧倒的な偶像力を持ちながらも自分の考え、やり方を出していけるそのバランス感覚が素晴らしいと改めて思った。

アイドルとしての在り方、アイドルとしてのファンへの接し方、あらゆるものにおいての自分のスタンス。ここをしっかりと持っているからこそ、いつだって嘘のない心からの気持ちを届けられるのだろうなと思う。

きっと彼は、自分のやり方にいちいち向き合っている人だ。どんな風にファンを愛したいのか。どんな風に感謝を伝えたいのか。ありがとうも好きも、ただふんわりと思っているだけでは形にならない。表現者であるなら尚更、何がありがとうなのか、どんな所が好きなのか、それをどういった形でどんな言葉でいつ届けるのかを突き詰めていくべきだ。そんな想いの表現の重要性を分かっている人。ちゃんと形に出来る人。

初めて彼を見たときの「この人なら大丈夫そうだ」という直感は間違っていなかったと思えるのは、彼の行動のひとつひとつがその深い思考にしか作れない信頼感に裏打ちされているから。

ツアー中に髪型と髪色を変えた時、あまりにも一瞬過ぎて何を考えていたのか分からなかったけれど、思えば雑誌の表紙に新曲のジャケ写、MV、実際に残る物には全部その彼がいた。2年前赤髪にしたことにも、ちゃんと考えと意味があった。

彼は無駄なことは、要らないことはしない人。それは彼の行動全てが必要で意味のあるものだということにもなる。適当がない。その誠意は当たり前なようでいて、芸能界では殊更稀有だと思う。真面目で、熱心で、誠実なひと。大丈夫と思える。信頼できる。人として素敵だ。そんな人を好きになれて、本当に幸せだと思うよ。

 

 

アイドル西畑と西畑大吾

デビュー魂の参戦を経て見たRIDE ON TIMEは、いつも以上にアイドルとしての、人間としての西畑大吾について考えさせてきた。

私は良い子ちゃんなアイドル西畑の表情から見える彼の仕事をしている感が好きだけど、今回ばかりは本当に仕事をしているところを見せつけられたような感じだ。なにナチュでも今までのROTでもそういう姿は見てきたはずなのに、演出という大役に真摯に向き合う彼は本当に違って見えた。私、こんな西畑知らない。

私は彼が表に見せているアイドル西畑の姿すらも全部知っているとは自信を持って言えないし、西畑大吾のことなんて知り切ることなんかできない、分かりきれなくてもいいと思っている。でも、あのROTは確実に西畑大吾に肉迫していたと感じた。練習場でなんて自分をよく見せる必要はないからこそ、無意味な笑顔はなかった。

彼の表情、小さい仕草、作業の時の動き、確認の仕方、全部”見せる”ためのものではないからこそ、西畑大吾という男性のリアルがありありと映されているようで変なドキドキを抱えてしまう。知らなかったな、こんな顔。こんな動き。これが彼の全てとは思わないけど、西畑ってこんな人なんだ。

知らない顔を見る度に、嬉しいのに寂しくなる。新しい彼に出会えたのは、嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しい。彼のことは、知りたいというよりも間違えたくないから。表舞台の時限定でしか彼を見ていないのに、間違った見解で知っているような顔して語るなんてことは絶対にしたくないと思っている。間違えたくないから、データが増えるのは嬉しい。*2

でも、知らない瞬間があればあるほど本当に彼は終点のない深みを持つ人なのだと突きつけられて、それがなんだか寂しいのだ。彼のことはアイドルとして応援できればいい、そう思っているはずなのに、本当に手の届かない遠い遠い人なんだと実感する。彼のことを何ひとつとして分かった顔をすることができない虚しさや不甲斐なさ。

あぁ、それでもあなたはステージに立つとそんな顔になるんだね。いつも見る笑顔。辛いことなんて、大変なことなんて欠片もありませんみたいな表情をして”アイドル顔”で居続ける西畑。本当に人が変わったみたい、その変化は分かるようで分からなくて、でもちょっと分かる気もして。

 

「やった方がいいで、恥かくのはあんたらやから」

「もうちょっと周り見てもらわないと」

彼のこういった言葉を聞く度に背筋が伸びる。厳しいように聞こえるけれどこれらは純粋にただの事実であって、むしろ愛だ。でもそれを他人に言えるということは自分はそれが出来ているということだし、常に考えているということ。一生懸命頑張るとか、真摯に向き合うとか、常に全力でとか、本当に難しいんだよ。

彼はそれをずっとやってきた人。自分もそうしたそうしてきたという確実な事実でしか、その声色は説得力を保てない。彼の言葉はいつも本物で満たされていると思う。

 

私はアイドル西畑が好き。完璧なまでに作り上げられている感じが好き。そのアイドル西畑を作るために思考を巡らせる西畑大吾も、アイドル西畑だと思うから、好き。じゃあ、西畑大吾は?

何度でも何度でも言いたいのは、私は一生彼のことなんて分かり切れないということ。家族だって、仲間や友達だって、パートナーだって1人の人間を理解することなんて無理なのに、表舞台に立った姿しか見ない私に彼という人間の何が分かるというのか。だから西畑大吾を知った顔をしたくなかったし、知ろうとも思わないと言い続けてきた。

けれどライブに参加したりROTで私にとって新しい彼に少しだけでも触れた今、その上で私は”きっと”西畑大吾も好きだろうな、と思う。フィルターがかかっていると言われればそれまでだ。というかそのフィルターは彼自信が作っているものだから、その罠に嵌るなら本望。でも、リアルに近い瞬間を切り取った映像をいくつも見てきて、それが西畑大吾だからといって全く興味がなくなるなんてことはなかったと気付いてしまった。むしろ焦がれていた。

焦がれるって、なんだろ。恋愛感情じゃない。そういう好きじゃなくて。いつまでも追いかけたい、目標にしたい、私も同じくらいできるようになりたい、同じくらい頑張りたい...きっと、これは全部崇拝に近い尊敬だ。仕事のできる上司に憧れるような、私もいつか先輩のようになりたいです!みたいな、そんな気持ち。

「人として尊敬」とか月並みすぎることは言いたくないけれど、「人として尊敬」せざるを得ない人だ、彼は。あまりにも本質的な共通点が多いせいで、それ故他人とは思えないせいで、自分にできないことをしている彼にどうしようもなく焦がれてしまう。より敬仰の念を抱かずにいられない。

 

 

”どこまでもアイドル”な人

SNSをやりたいかという問いに、彼が「やりたいとは思わない」と答えたことを思い出した。「近すぎず遠すぎず、ファンとの関係性を大切にしたい」。

そういうところね。あなたのそういうところ。言葉にはできない、それでもここに彼がつまっていると思う。「いいえ」を言える強さを、彼はきっと強さと思っていないと思うけど、でも実はそれこそが本物の強さなんだよ。その柔らかい強さに男気のような格好良さが滲み出る。一本通った可愛くない感じが、面倒くさい感じが、いい。かっこいいじゃなくて、格好良い。

”近すぎず”遠すぎず。非常に彼らしくて好きだ。僕達の距離は遠くないよ、いつでも傍にいるよと言ってくれるアイドルはたくさんいるけれど、逆にここまで一線をピシッと引いてくれるアイドルはそういないだろう。

その一線は決して冷たいものじゃない、甘く優しい言葉だけが愛ではないと彼は知っている。そしてそれを実行する強さがある。アイドルはまさに偶像。理想が詰まった、非現実的な人間の夢。それを彼はちゃんと分かっているから、偶像で在り続けるために相応しい自分の振る舞いをよくよく考えているのだと思う。雲の上の夢と地上の人類は近すぎてはいけない。近いせいで見たくないものが見えたりする。手が届かない故に人類は都合よく美化するけれど、それが夢を夢たらしめている。アイドルとファンって、きっとそういうことだ。

では、SNSの扉を開くことで、彼と私達との距離は近くなりすぎるのだろうか。正直、私はまだ彼のこの言葉を咀嚼しきれていない。たしかにInstagramでは日常的な投稿は多いかも。寝顔とか仕事の様子とか、そこを暴かれたくないという意味なのかな。YouTubeではどうだろう。当たり前になっているけれど、衣装が私服というのも彼にとって微妙なのかもしれない。エピソードを暴露し合う企画もある。思えば就寝や寝起きまで映された旅企画は彼的には相当に相当だったのかもな。なんだか申し訳ない。彼が守り続けてきたものを、そのアイドル像さえも踏みにじってしまったみたいで。

 

SNSをやりたいとは思わない。そんなことを、私はすっかり忘れていた。

すごいね。あなたがあまりにもナチュラルにあなたでいるから、嬉しそうに楽しそうにするから、やりたいと思わないと言っていたことなんてまるで抜けていた。

彼のSNSでの姿は私の中でもうなんの違和感もない普通であるけれど、それは彼が必然的に距離が近くなってしまうSNS上でもアイドル西畑で在り続けるために努力した結果だったのだ。余分な力みを感じさせず、ファンにとっての当たり前をキープすることがどれだけ大変か。変わらないために変わり続けることがどれだけ頭を使うか。

彼はきっと”画面越しのアイドル”でいることを望んでいる。奇跡のような夢のような、非現実的でアイドルなアイドル。そうでありながら、私達への呼びかける目線や声色で愛と心だけは近い距離感を伝えて騙してくれちゃうんだ。なのに実際は遠い遠い人なんだから参ってしまう。でもきっと、これが一番お互い安全でお互い幸せなんだろう。全部彼の手の中。降参、何もかもが素晴らしすぎる。

 

 

あなたが恋に落ちるときは

彼はいつも「結婚願望はない」と言うけれど、果たしてそれが本当なのか、アイドルとしての回答なのか。彼の言葉を疑っているわけじゃないけれど、アイドル西畑と西畑大吾は違うのだから。西畑大吾」にそんな願望があっても、誰がそれを否定できようか。

私は正直、彼には好きな人と結ばれてほしいと思う。本当に興味がないのなら無理になんて思わないけれど、好きな人がいたって、その人と結ばれたいと思ったって、いいじゃない。

たしかにアイドルは恋愛禁止かもしれない。夢を見せて、お金を貰っているわけだから。でもやっぱり、彼には幸せになってほしいと思う。職業以前に一人の人間として、好きな人がいるのならその人と一緒にいてほしいし、二人で幸せを作っていってほしいし、それはもう、好きな人だから。心から尊敬する、素敵な人だから、だから、あなたには幸せでいてほしいんだよ。

こんなことを言ったら、彼のアイドルへの誇りとかける想いを甘く見ているみたいかなぁ。それでも、「アイドル西畑」に光を見せてもらっている者として、「西畑大吾」の人生の輝きまでをも祈っているのだ。

友達どころか、知り合いでもない、顔を見合わせたこともない、それなのにこんなに一生懸命に愛して、ファンというのは本当に面白いものだなと思う。私はただ彼の輝きを追いかけて、幸せと楽しみをもらうだけ。

それでも、一方的と言ってしまうにはこの尊敬と羨望は大きすぎる。こんなにも奥深い人を好きになってしまった。一生かけても彼のことはきっと分からないだろう、それくらい豊かな魅力を持つ人。軽率には語れない、触れることさえためらうほどに危うい輝きを放つ彼に惹かれたこと。そんな磨り硝子のような不透明さが私をたまらなくさせること。すべてが愛おしく、胸が苦しい。

今の私の世界は、彼のいる世界。西畑のいない世界ってどんなんだったっけね。ずっとずっと、この気持ち良い海の底から、かすかに見えるほどの光というあなたを見上げている。

 

 

最高だぜ西畑

彼は本当に最高のアイドル、最高の人間だけど、そもそも、「西畑」って時点で最高だ。名字だけで唯一無二感がある。このブログのタイトルが「西畑」で成り立っているのも「西畑」だからだと思う。大吾もいい。あの顔で大吾とは初見ではあまり思い難いと思うのだけど、なんだかいい。彼の芯を形成する男気みたいなものが見える気がする。いい名字といい名前が組み合わさった、「西畑大吾」という名前。好きだ。

西と畑と大と吾という漢字の羅列も美しいと思う。簡単すぎず難しすぎず、こんなところまで過不足ない人。

にしはただいごという響きも良い。言いたくなる。なにより、彼の声と言い方で発せられる「西畑大吾です」がとてつもなく好きだ。二次元アイドル的な、存在だけでキャラが立ってしまっているようなオンリーワン感。

彼の隅々まで愛おしく思える。どれだけ小さい何かが違ってもだめだ。貶し愛というのか、ツンデレというのか、普段私は「かっこいい」も「大好き」も言わないし、むしろ正反対のことばかり言っているような気がするけれど。

あなたのことだけを、よく、深く、考えて。素直な気持ちだけ残るように丁寧に濾していったとき、それはこんなにも甘いものか。

私、こんなに好きだったんだ。こんなに彼に幸せでいてほしいんだ。そりゃそうだ、ずっとアイドルにハマらなかった私を、ようやく堕とした人だもの。正直、大好きで大好きでたまらない。

 

 

持ちうる全ての愛をあなたに

去年のお誕生日ブログでも触れたけれど、やっぱり私は2019のあけおめの彼のせいで一生西畑担をやめられないと思う。あんな顔をした後で会場を盛り上げちゃったり。一瞬で普通になって歩きだしたり。今さっきまで泣いてたじゃん。消費の対象って悲しくて切ないな。心底思った。あなたが消費される人間でなければ、普通の子だったら、そんな顔しなくてよかったしずっと泣いててもよかったよ。

それでも彼はたくさんの選択の瞬間をすべて今に繋げてきた。そんな人を守りたい、愛したいと思って今に至る。私は一生彼とプライベートな接触を持つことはないし、話すことすら絶対にない。彼は私のことを知らない、それはこれからも。だから私が担当でいようが降りようが彼がそれについて頭を悩ませることも心を晴らすこともないのだけど。それでも守りたい、愛したい。

一方的にでも、赤い光の数をちょっと増やすことはできると思う。何万だろうが、何万+1だろうがそんなの分かるわけないけど、そのひとつひとつの1を抱きしめてくれる人だと知っている。抱きしめることに何万もの時間を使ってくれる人だと分かってる。だから私もあなたの切ないところをずっと抱きしめたい。

いつだって彼に負けたくなかった。彼が魂込めて生きている”アイドル生”を見せてもらうには、同じくらい強く生きなくては、気持ちだけでも同じように食らいついていかなくてはと、爪が食い込むほどに拳を握りしめるような追いかけ方をしてきた。

きっとそれはずっと変わらないし、なんだかんだそんな人にしか惹かれないのだと思う。似ているから、違うところに気付く。似ているから、あなたに出来て私に出来ないことが悔しい。悔しいから、どんなことがあっても揺るぎない「好き」でいられるよ。

 

大丈夫、君しか出来ないことがたくさんある。西畑だから、そんな理由だけであなたのどんなことも愛せるし、肯定できる。「西畑だから」、これだけで、私はどうとでもなれてしまう。

きっとみんなそう。あなたのことが大好きで、何より幸せでいてほしい。楽しくいてほしい。だから好きなようにやってね。「西畑が」決めた、それだけで全部が花丸。

こうであれなんて一つもない。あなたも勝手に、いらない呪縛からは解き放たれて、自由に幸せでいてください。来年の1月9日までまた一年、楽しいも悔しいもたくさん貰うつもりです。

 

 

あなたもどうか、良い年にしてください。26歳の一年が、最高な日々で溢れたものになりますように。今年は去年より、もっともっと好きでいます。

 

 

 

 

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*1:個人的には、「感覚”が”ある」と、「感覚”は”ある」はかなり変わってくると思っている。彼の言葉の細部までこうして意図を汲もうとしてしまうのは、彼自身がそれだけあらゆるものの細部において真摯に向き合ってきたからこそ培われた信頼によるものだと思う。

*2:もしかしたら、これも強がりなのかなとも思ってしまう。彼のことをもっと知りたいと思う私に、現実的な思考で怖がりの私がストップをかけているのかな