今日は尊敬するアイドル:西畑(さん)の25歳のお誕生日です。
人生の四半世紀。おめでとうございます。
”恋文”では伝えられないような内容ばかりだけど、今までのあなたへの想いを、ここに少し残させてください。
決して手の届かない偶像
きっとみんな分かってくれると思う。「偶像:idol」がどれだけ彼に相応しい言葉か。
アイドルとしてこれ以上の存在はいないよ。
どうしてそう言い切れるかって、ハマらずとも色んなアイドルを見てきた私に、初めて「アイドルとはなにか」を体で教えてくれた人だから。
変に驕り高ぶって語るんじゃなくて、その声と表情と背中で見せつけてくる彼のやり方が私は物凄く好きだ。
ジャニーズという一括りの中でも色んなタイプのアイドルがいると思うけれど、彼のアイドルとしての生き方はそこそこリスクの高いものなんじゃないかと思う時がある。
彼の中の「アイドル西畑」という存在は、崇高で、単純で、奥深い。
「アイドル西畑」しか見せないことが、100%正しいことかなんてわからない。
アイドルのファンの中には「アイドルの素」(これが本当に素だと思っている訳でもないけれど)が好きな人だってたくさんいて、そんな人には少々物足りなくて、つまらなく映るだろう。
そして、そのことをきっと彼自身も分かっている。
この生き方が誰かにとっての「好き」であり、誰かにとっての「イマイチ」にもなる。全員から花丸が貰えないことなんて分かってる。
だからこそ、彼の「応援してくれる方々」への愛と感謝は一味違う。と、思う。
アイドルとしての「西畑大吾」を作る
彼の「素の西畑大吾」を見せない姿勢が私はとても好きだ。
人前に出る時は「アイドルの西畑大吾」であることが当たり前って、("時々壊れたり"する時も、きっと彼はアイドル西畑の中にいる)プロでない部分を1ミクロも見せない徹底ぶりは笑えてくるほどだけど、そんな彼を見る度に心の中でたくさん拍手をしている。
「すごいよ。ほんとにすごいよ」って、いつも泣きそうになりながら思ってる。
なんで泣きそうになるんだろう。それは多分、彼があまりにも尊くて、切ないからだ。
もちろん私はただの西畑担(しかもなにわ男子ができてからという新規)なので、本当の彼なんて知るわけがない。
でも、別に知りたいとも思わない。
表現者という姿でしか私達の目の前に姿を現さない西畑と、そんなとことん完璧なアイドルをずっと求めていた私と。もう需要と供給は成り立っている。
私は、(ファンとして)彼の隣にいたいというよりも彼を見上げていたいのだ。
こう生きると決めたからにはと常に偶像であることを選んだその覚悟を、仕事を全うする大人として、学生ながらに尊敬している。
やろうと思って、できることじゃない。
プロであることの誇りとプライド
初めて関ジュのあけおめコン(2019)をDVDで見た時。
DVDとはいえ、有観客の彼らのライブをしっかりフルで見たのは初めて。
めちゃくちゃ泣いたけれど、結局思ったのは「この人ってなんてバカなんだろう」ということだった。
不器用すぎだろ。バカすぎる。強がってんなよ。あほ。と、本気で思った。
”MyDreams”を歌って、みんな泣いて、会場全体がしんみりして。
その瞬間に彼がちょっと下を向いて、眉を下げて少し笑って、自分がここで耐えなきゃいけないみたいな表情をしてから笑顔になって会場を盛り上げ直すように叫んだ時、「あぁ、私の好きな人だ」と思った。
その表情の移り変わりの一瞬一瞬は皮肉にも綺麗で、彼の全部が詰まっていた。
この人は今まで何回も、こういう顔をしながら、こういう顔をしなきゃいけない道を生きてきて、これからもそうやって生きていくんだなという気持ちが体中を浸した。
きっとあの時、泣き崩れても正解だったのだと思う。
室くんも康二も関ジュとして最後の舞台、それをもちろん彼も知っていた。二人がいた時代をリアルタイムで知らない、DVDでちょっと見た程度の私でさえ今も書きながら泣きそうなほどだから、彼が泣いて誰が責めるだろうか。
そんな感情が、あのたった一瞬下を向いただけで片付くはずがない。
でも西畑は無理やり振り払って、笑顔で。
「最後は笑って終わりましょう」。
そんな風なことを言っていた彼は、アンコールでは完全に何事もなかったような素振りで手を振っている。
彼の余裕さえ見せる笑顔と、まだ切り替えきれない年下組のぐじゃぐじゃで真っ赤な顔の対比は、私の目に鮮烈に写った。
なにそれ、さっきまであんな顔してたくせに、って、なんだか笑えてしまうほど。
他の子が泣く度に、彼の平気そうな顔が頭を占拠する。
他の子が素直になる度に、彼の孤独感が胸を締め付ける。
なんて哀しい人なんだろう。哀しい、けど、不幸ではない。
彼のことを考えていると、いつも必ず何もかもが分からない感覚に陥ってしまう。
きっと私のこの感覚さえ間違っているんだろうな。
何が正しいことなのかすら分からない。
RIDE ON TIMEのある回で、ライブTシャツを着た彼がドアの近くで泣いているカットがあった。
その時の私はそれがまさに2019年のあけおめコンのことだとは知らなかったのだけど、スタッフの方が彼を通り越した瞬間、別人のように「普通」になる彼が凄く印象的だったのは覚えている。だった、というか、何回見ても見慣れない。何度も何度も、頭の中で繰り返される映像だ。
少し俯いて肩さえ震わせていたのに、彼は、普通の姿勢で、普通の顔をして、普通に歩いていた。
おかしいでしょう、さっきまで泣いてたくせに。
こういう所が、彼の凄い所であり、プロ意識であり、最高にバカな所だと私は思う。
そして、彼のそんな所が、嫌になるほど愛おしい。
影があって初めて、見える光がある
この人は、呪いになり得るほど強烈なアイドルというブランドに、皮肉にも唯一の光を見出した人なのだと思う。
ステージに立てば歌って踊って喋って、完璧な笑顔で手を振ったりファンサしたり。存在で夢と希望を与え魅了する仕事がアイドル。きっとアイドルを好きな人はたくさんいるし、いつかは自分もと憧れを抱く人も少なくないはずだ。
でもアイドルは流行と旬と自己プロデュース力とが入り混じり、最後は運さえ必要になってくる厳しい世界なんじゃないかと素人ながらに思う。
生き抜くために、そしてその先で世間に愛してもらうために、自分の商品価値を深く理解して自らを売り出していかなくてはならない。
そういう点で、彼は強かったのではないか。客観的な目で自分を射抜き、まっすぐにしかし柔軟に時代へアプローチする。自分を作っていく。アイドルの西畑大吾を作っていく。ひとつひとつ武器を手に入れていくように。
そう思ってしまうから、みんなが大好きな彼の「あざと可愛さ」も、私は真っ直ぐな目で見られない。きっとそれは、自分の顔のタイプや外からの見られ方を正確に把握した上で出した「この世界を生き抜く策」。「話題になりやすい、愛される技」。
素で抜けていたり、素で面白い発言を連発したり、そういうアイドルもいるだろう。そんな子は見ていて素直に癒やされるし、それも正解だと思う。
けれど彼はそうじゃない。でもこれは嘘ではない。それでいい、それがいい。
彼が人一倍考え尽くした時間、真面目な計算。本人はきっとそれらを見せようとはしない。でもそれは語らずとも重厚な暗がりとなって彼の顔に、声色に、言動にしっとりと浮かび上がる。その少し薄暗い瞬間があってこそ、より輝くアイドル西畑という存在がいる。
影と共に射す光は、純粋なそれよりも深い煌きを孕んでいると思う。これはきっと気のせいなんかじゃない。
”近すぎず遠すぎない”距離感で
彼のカメラ目線は完璧だ。一寸の狂いもなく真っ直ぐに、カメラの先の私達へ目線を飛ばすその愛のこもった瞳はTheアイドル。でもそれ以上でもそれ以下でもない。
一度も彼を直接見たことがない私だけれど、仮に目があったとて同じことを思ってしまうだろうなと冷静に思っている自分がいる。
目があった!ということより、「今この瞬間私の目の前で」「確かにアイドル西畑している」ってことに興奮するんだろうな。
アイドルの彼は、アイドルとしての最高を極める代わりに、それでしかいられない。
それでいい。それでいいのだけれど、そこがちょっと切なかったりする。
いつかYouTube(今は全て非公開にしています)の方に投稿したMAD「”アイドル西畑”へ敬意を込めて。」の概要欄で、私はこんなことを書いた。
カメラ目線でないふとした瞬間や、何かを語っている時の瞳の方が、目が合っていないのに不思議と西畑くんの心に近付ける気がしています。
あんなに優しい言葉で寄り添ってくれるのに、愛を届けてくれるのに、なぜか壁があるように感じていました。
それは西畑くんが寄り添って愛を届けてくれる時、彼はアイドルとして生きているから。
それで正解だと思うけれど、ちょっと切なくて寂しい。
でもそんなところもすごく大好きだなと。
(ちなみにMela!は私の西畑への気持ちを代弁してくれている曲です)(追記:同じく緑黄色社会の「たとえたとえ」も半端なく私to西畑な曲だった。得にCメロからラスト…ぜひ聴いてみてください。)
今読み返しても思うことは変わっていない。
これからもアイドルとファンの近くも正しく遠い距離を崩すことはないであろう彼のこの生き方には、気持ち良い程の潔さを感じる。
この正しい遠さは、彼がファンの描くアイドルの姿を守り、その心を大切にしてくれているからこその選択なのではないか。
自身もアイドルという職業を愛し、アイドルであることに誇りを持つ人だからこその、彼と私達が一番幸せでいられるような愛のある距離感。
彼の全てに、全てのものへの愛がある。それはただの馴れ合いでも傷の舐め合いでも、履き違えた優しさでもない、強く固くしなやかな本物の愛。だから彼のことはどこまでも信じられる。盲信でなく、”大丈夫だね、あなたは”と思えるのは、紛れもなく彼の揺るぎない覚悟のおかげだ。本当にありがとう。
アイドルとして生きていられる、充分な人気もある。
それはもちろん彼、彼らの今までの積み重ねに違いないのだけど、その今に甘んじない姿には本当に痺れるなぁと思う。
0.1秒0.1秒に気を抜かず偶像としての全てを作り上げる。命を焦がしながら削りながら自分というある種商品を高めてゆくのは、アイドルとして当たり前のようで、当たり前にできているアイドルは少ないのではないか。
アイドルへの、ジャニーズへの、ファンへの愛と誇りと応えたい返したいという想い。
なにより美しいプライドがきっと彼を動かしている。
自分はアイドルであり、これからも、「アイドルをしていく」。そんな明確な彼の誓いを突きつけられて、じゃあ私はその覚悟にどう応えればいいだろう。
これは彼を好きになって、何度も何度も考えたことだ。
でもやっぱり私は、好きな人がこういようと決めた姿を、その心を一番愛したい。そんな気持ちで、アイドル西畑が好きだと思っている。
不思議なあなた
アイドル界が地獄だとか、そういう顔をしなくちゃいけない道を歩んできたとか、傍目には私が彼を「不幸な人にしたがっている」ように見えるかもしれない。
デビュー発表を受けて最初のブログで、彼は「幸せだ」と言っていた。「あの日のあの瞬間。紛れもなく世界で1番の幸せ者でした」。
また彼は時折、自分にとって6人のメンバーがどれだけ愛すべきものであるか、グループが自分の人生の中でいかに大きいものであるかをストレートに表現する。
そんな時、私は救われたような、ほっとしたような気持ちになる。
彼のことを何も知らないから。どんな試練があって、それがどれほど苦しくて、どんな気持ちで踏ん張ってきたかなんて。そんなの分かるわけないよ。
雑誌やテレビ、情報としていくら知っていても、きっとそれさえも限られた美しいデータであり、そんなもので彼に近付ける訳がないとさえ思ってしまう。
正直な話、私は彼のことを「分かっている」と自信を持って言えないのだ。
今までも彼について何か書こうとしては、”センターの様々な重み、責任を知る人”、”想像できないくらい色んなことを感じてきた人”という言葉と共に彼の顔が浮かび、その度手が止まってしまっていた。
私は本当のアイドルの世界を知らない。分からない。センターの重みなんて味わったこともない。なにより、西畑大吾のことなんて何一つ分からない。なのに、何を偉そうに書こうとしているのか。語る気持ちよさのためだけに彼を使うのは失礼だ。分かっていないファンでいたくない。適当で変で独りよがりなことは書きたくない。いつもそう思ってしまう。
「分かっている」という言葉ほど重たくなくてもいい、「こんな人だよね」と自分の言葉で彼を生み出すことすら、少しためらってしまう。
だって本当に分からないんだもの。でも一つだけわかるのは、少しでも語るのを躊躇してしまうほどに、西畑という人がそんな重み深みを持っている人だということだと思う。例えそれが立場が生んだ皮肉なものだとしても。
手を伸ばしても一向に辿り着く気配のない暗がりを抱く人。
だからこそかもしれない、やっぱりアイドルをしている彼が好きだ。
見せてくれないはずの「西畑大吾」がよく見える。
逆説的なようだけれど、完璧なまでのアイドル西畑を見せつけられる度に、そのアイドル西畑を生み出すために費やした揺るがない時間、西畑大吾の生き方が見える。
彼は、その決意も、覚悟も、想いも、全て滲んだ背中でアイドルをしている。これが物凄くかっこいいのだ。
西畑は本当にかっこいいひと。 すごく人間臭くて、でも完璧な偶像。そんな実は不安定で、矛盾してるようで、「バカだなぁ」って思っちゃうような、なぜか心をざわつかせる得体のしれないあなたが大好きです。
アイドルの西畑大吾さんへ
「アイドル西畑」は、これからどんどん変わっていく。
でもきっと、アイドル西畑として生きるという西畑大吾の覚悟だけは変わらないのだろう。
私はそれだけでいい。本当にそれだけが、一つだけが彼の中にあればいい。
顔とか声とか、全部好きだけど。大好きだけど、そこが一番じゃないからだ。
その覚悟が滲む一挙手一投足が好きだから、彼が決めたことならなんでもいい。
あなたがあなたを赦せるなら、好きなだけやりたいようにやってください。
みんなで、なりたいなにわ男子になってください。
それを見るのが一番好きです。
愛おしいほど儚い一瞬一瞬のお裾分け、いつもありがとう。
誇りというプライド故にバカで皮肉なあなたを追いかけていると、時々泣きたくなるし胸には何かが込み上げる。決して陽ばかりじゃない。
でもそんな苦さ苦しさが、私にとっては最高に甘いのだ。
すきすきって笑顔ばかりで「推す」ことができたらきっと正しく幸せなんだろうなと思うけど、どうしたって色んなこと考えちゃうし、あなたの翳りにどうしても心奪われてしまう私がいます。
でも。そういう瞬間に一番、あなたを好きでよかった、と思う。
これが私の追いかけ方です。
そう思ったら、皮肉なのはおあいこかもしれないね。
「これが本物のアイドルだ」
初めてそう思えたあの時の気持ちも、初めてそう思わせてくれたあなたのことも、全部大切にしていきたい。
アイドルが本当にたくさんいる今、”本物”を見せてくれたあなたのことならどこまでも信じられます。
あなたは私がずっと探していた、この世にはいないと思っていた誇りとプライドと愛の塊。
あなた程の人は見たことがない。
私が今まで知らなかった、本当の、美しく、楽しいアイドルとファンの関係性、距離感。
あなたのおかげで、家族のような愛に溢れたジャニーズを素敵だと思うことができました。
夢を夢のまま届けてくれて本当にありがとう。
そんなアイドル、実はずっと少ないよ。
西畑大吾くん、改めてお誕生日おめでとうございます。
あなたが私の最初で最後の自担です。
これからもずっと、あなたのことを尊敬する人生の先輩として応援させてください。
愛すべきあなたの生き方と誓いに幸あれ!!!!!!!